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理不尽な出来事①~不動産屋編~

 私が過去に遭遇した「理不尽な出来事」の中で、どうしても許せない事が二つあります。所謂「灰色決着」の様なもので、当人にしてみれば「解決済み」と思っているのですが、私としては全然解決していない問題なのです。
 勿論、私の方にも責任の一端はあると思います。然しそれは相手が「信頼できる場所(会社)」だからこそであり、それ故に相手の言うが侭にせざるを得ない事情もあったのです。それだけは御理解して頂きたいと思います。
 なお、この事柄につきましては、同じ業界に携わる方々からの同情の言葉を事前に沢山頂いております。

 神奈川県の南西部を中心にしている不動産会社の『ニューライフ・オリジナル』に私が初めて賃貸物件の事を依頼したのは、今から10年くらい前の事でした。その会社は南西部地域、具体的に示すと辻堂や茅ヶ崎、平塚に厚木、そしてその周辺地域を管轄していて、当時高座郡寒川町に住もうと考えていた私は、某住宅情報雑誌の中からニューライフ・オリジナルを偶然選択したのです。
 最初の対応は問題なくて、すぐに私の希望を考慮してくれました。そして同時にSという男の方が私の担当になりました。Sさんは私の希望を熱心に聞いてくれて時待たずして幾つかの物件を紹介してくれました。寒川町に住むという最大の条件は満たせませんでしたが、その周辺の幾つかの物件を紹介してくれたのです。
 ところが、その様な状況下の中で最初の契約のダブりが発覚したのは、門沢橋にある物件を紹介してもらってから一週間も経たない頃でした。紹介された物件はアパートタイプで、家賃も安くて希望していた二部屋付きだったのです。ただ二階以上を希望していたのに、その物件は一階で、どうしようかと思っていたのですが、周辺環境も整っていたので、一応手付け金を支払っておいたのです。
 私も色々な土地で部屋を借りてきましたが、契約のダブりという経験はそこが初めてでした。然しその時は見つかったのが早かったので、まあこんなこともあるんだなと思ったのです。その時住んでいた部屋を退室するとは告げていませんでしたし、まだゆとりがあったのです。

 担当のSさんは「申し訳ありません。今度はきちんとしますから」と言って、すぐに新しい物件の紹介を始めました。その中で最初に紹介されたのは米軍の厚木飛行場の近くにある物件で、駅から相当離れた場所でした。周囲をご存じのない方に簡単に説明しておきますが、あの周囲は飛行場があるせいで騒音が物凄いのです。何度も夜間飛行に関する法律が制定されたりしていますが、それでも飛行機は周囲を旋回して離着陸するので、本当に煩い場所なのです。
 然し物件は最高という言葉が出るほどのものでした。家賃が6万円台で、三部屋もある新築(建築中)物件だったのです。これに車があれば問題なしというものでした。私は車を購入する予定がなかったのですが、バスも走っている事だし何とかなると思ったので、そこにするとSさんに告げたのです。
 然しじっくり考えてみると、たとえバスがあったとしても駅から相当離れているのは大変だなと思ったのです。そのことをSさんに話してみると、「それでは平塚にある物件はどうでしょうか?」と提案してきたのです。

 この平塚にある物件というのも、前回と同様に駅から相当離れていました。然し飛行場の近くでもありませんでしたし、交通の便も悪くなく、また家賃6万円台で三部屋の新築物件(建築中)という魅力にもひかれたのです。そして正式にその部屋にするという意向と手付金の移行をお願いして、その場は終わったのです。
 ところが、その建築中物件が出来上がるのが凡そ二カ月先だったのです。五月の連休明けくらいには正式に契約ができるだろうとSさんは言いました。勿論私は待ちました。車もない独り身の私が待つことを選んだのですから、これが所帯をもたれている方なら私以上に待つことを選ぶでしょう。第一私の場合は仕事に追われる生活をしていただけに、いつまでも部屋探しに時間を費やせなかったのです。
 新築の物件が出来上がる経過を見るのは、半分近く条件を満たした人にとっては入居の前夜祭の様で嬉しい事です。当時横浜市瀬谷区から東京の新宿区まで通勤していた私が、仕事柄泊まりが頻繁に続く環境の中で、漸く週末に仕事から解放されて平塚まで足を延ばして建物の状態を見るという事は、疲れた体を癒す一服の清涼剤みたいなものでもあったのです。
 そして契約まで一カ月を残す頃、私は正式に部屋を退室する旨を瀬谷区の不動産屋さんに伝えました。時を同じくしてニューライフ・オリジナルから契約書一式の入った封筒が郵送されてきました。これは誰が見ても「契約間近」です。こちらから断りを入れない限り契約は有効だと思うのが一般論です。
 私は書類を書き込むと、保証人の両親に書類を郵送しました。両親も契約は完了するものとばかり思っていました。これもまた当然の成り行きです。契約書を書かせているのですから、成立させる事が目的なのです。
 然し、ここから悲劇が始まったのです。

 契約日の前日。それは土曜日だったと記憶しています。その日の週末は仕事もなくて(金曜日に泊りがけで仕事をして土曜日の夕方に帰るという事もあったので)、明日の契約を楽しみにしていたのですが、その私のもとに、ニューライフ・オリジナルから電話が入りました。私は明日の事だろうと思って普通に電話に出たのですが、開口一番Sさんは、

『申し訳ありません。また契約のダブりが出ました』

 と言ったのです。
 茫然自失という言葉はこういう状況下で使われるものでしょう。二カ月間待ち、事前に契約書まで書かせておいて、いざ契約の前日になって「ダブりが出ました」などと言われたら、誰でも茫然となります。
 いったいどうなっているのかと問いかけると、Sさんは「申し訳ありません」の一点張りになりました。翌日私は母と本厚木にある会社を訪れ、Sさんに事情を聞きました。それはまた当然の事です。然しSさんは契約のダブりがあったことだけを口にするだけで、おしまいには

『社長は出る所に出ても良いと言っています』

 と口にしたのです。
 出る所=裁判所に出てもいいという事なのです。これでは最初から裁判するつもりでいたと思われても仕方がない話です。これがお客様商売をする人のやる事でしょうか? 人様からの信用と信頼があるからこそ店舗を構え、チラシを配布し、雑誌に記事を掲載しているのではありませんか。それなのにこの様な態度では、Sさんがひたすら謝り手付金の倍返しで手を打ったところで、根本的には何も解決していないのです。
 私が部屋を探し歩いた頃、数々の不動産屋から「うちはありません」とか「独身の人には貸せないね」とか言われました。私はそれはそれで仕方がないと思っていたのでそれらの事は記憶の片隅にしか残っていません。それ故に恨んだりする事も勿論ありません。

 私がニューライフ・オリジナルに対して許せないのは、「嫌なら断れ!」という姿勢を持たなかった事なのです。当時は携帯電話が普及する前だったのですが、公衆電話はありましたし二カ月もの間があれば会議も打ち合わせも死ぬほどできたのです。その中で契約のダブりがある事は勿論、私の希望する事が気に入らなければ断ればいいのです。最初のダブりが発覚した際に「やはりうちでは探せません」と言えば、その時点で話は終わったのです。手付金を倍返す必要性もなかったのです。
 どこの世界に「あなたの会社で契約したいけど、不安だからもう一つ別の不動産屋さんにも部屋探しをお願いしてあるわ」などと言う人がいるでしょうか? 相手に対して失礼極まりない話でしょう。契約書を貰ったら、その時点で完全に相手を信用するのは当然の事ではないですか。基本中の基本な事ですよ。

 あとに残された処理は大変でした。瀬谷区の不動産屋さんには退室撤回の旨を話さなければなりませんでしたし(たまたま私のいた部屋に借手がつかなかったので事なきを得ましたが、これはごく稀なのです。そして撤回するというのは非常に恥ずかしい事です)、五月の連休明けから仕事での疲れがどっと出てきて、そのしんどい体を引きずりながら新しい物件探しをしたのです。
 然しそこで残り一つの新築物件を見つけて住んだところで、それで万事が終わったといえるでしょうか? とてもではないですが、完全に歯車が狂ってしまったのです。最初が肝心という言葉もあるのです。最初でさんざんケチを付けられては万事をよしと考えようとしても心の奥底にシコリが残って、その後の結果が良くなくなる場合もあるのです。
 現に私はそれから半年後に仕事を体調不良により辞めました。そして再就職でのトラブルに巻き込まれたり、頼まれた物事の支払いのトラブルにも巻き込まれました。新しい部屋では駐車場の問題もありました(車を持っていない私の部屋に当てられた駐車場を無断で勝手に他の車が駐車していたのです)。とにかくリズムが悪くなってしまったのです。本当にとんだケチを付けられたと思いました。
 そこで得たものといえば、疲れと借金とトラウマだけです。そしてトラウマは今でも残っています。不動産屋を心底信用出来ないのです。勿論どこの会社もするような事ではないにせよ、「またダブりがあるのではないか?」「今度ダブりに遭遇したら退室の撤回ができないのでは」などと思ってしまうのです……。


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